応援歌「若き血」と「紺碧の空」
慶応の第一応援歌といえば「若き血」、
早稲田の第一応援歌といえば「紺碧の空」。
早慶両校が誇る、応援歌の名曲です。
「若き血」と「紺碧の空」は、昭和初期に、
1907(明治40)年、早稲田は創立25周年を記念して、
作詞・相馬御風、作曲・東儀鉄笛によって作られた校歌「
ところで、 1907年といえば、前年(1906年)に、
そのため、せっかくの校歌も、早慶戦で歌われる機会は、
1925(大正14)年、
早慶戦の復活直後、早稲田は慶応を圧倒しました。 応援でも、早稲田の「都の西北」は、
これに対し、慶応も、早稲田に負けてなるものかと、
慶応は、新進気鋭の作曲家・堀内敬三に、応援歌の製作を依頼、
依頼を受けた堀内は、あっという間に、応援歌を作り上げます。
こうして、堀内敬三の作詞・作曲により「若き血」が誕生し、
「若き血」のご利益は早速現れ、
その後、慶応は黄金時代を築き、「若き血」が、
一方、慶応に苦杯を嘗めさせられ続けた早稲田でも、
そして、1931(昭和6)年、早稲田は新応援歌の歌詞を、
作曲は、当時無名だった古関裕而が担当、
こうして1931年春の早慶戦で、「紺碧の空」
その甲斐あってか、早稲田は慶応を2勝1敗で破り、「紺碧の空」
こうして、「若き血」と「紺碧の空」は、その誕生直後から、
それ以来、「若き血」と「紺碧の空」は、
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