東京六大学野球の通算本塁打記録

東京六大学野球史上、最も多くホームランを打ったのは、

慶応の高橋由伸選手で、高橋は通算23本塁打を記録していますが、

六大学の通算最多本塁打記録を巡っても、様々なドラマが展開されています。

まず、戦前に、慶応の宮武三郎と、早稲田の呉明捷が、それぞれ通算7本塁打を放ち、 これが、長らく六大学野球の最多記録として残っていました。

戦後、立教の長嶋茂雄が、この記録に挑戦します。

長嶋は、四年生春(1957年春)の開幕の法政戦で、通算7号本塁打を放ち、通算最多記録に肩を並べますが、

その後、長嶋茂雄はなかなかホームランを打てず、周囲をヤキモキさせました。

そして、長嶋の学生生活最後の試合となる、 1957(昭和32)年秋の慶応戦で、長嶋は遂に、新記録となる通算8号本塁打を打ちました。

最後の最後で、劇的な新記録を達成するあたり、やはり長嶋は、学生時代から、タダ者ではない選手だったという事でしょう。

1965(昭和40)年、神宮球場にラッキーゾーンが設置され、六大学野球はホームランが激増しました。

その恩恵もあってか、慶応の広野功は、この年に春2本、秋 4本というホームランを放つなど、通算 8本塁打を打ち、長嶋の記録に並びました。

この記録を、大幅に破ったのが、1965年に法政に入学した、田淵幸一です。

田淵は、一年生の春に1本、秋に 3本を放ち、早くも大物の片鱗を見せると、 そこからホームランを量産しました。

二年生終了時には、田淵は既に通算8本塁打を放ち、長嶋の記録に肩を並べていました。

そして、三年生春(1967年春)の慶応戦で、田淵は藤原真から通算9号、10号本塁打となる1試合2本塁打を放ち、

一挙に長嶋の記録を抜き去りました。

田淵は、結局は通算22本塁打を打ち、それまでの記録を大幅に更新しました。

その後、早稲田の荒川堯が19本、谷澤健一が 18本、岡田彰布が20本を記録するなど、何人かの選手が田淵の記録に挑戦しますが、 田淵の牙城を崩す選手は、なかなか現れません。

しかし、1997(平成9)年秋、慶応の高橋由伸が、遂に新記録となる通算23号ホームランを打ち、 29年振りに、田淵の記録を更新しました。

今後、高橋の記録を破る選手がいつ現れるのか、期待しましょう。

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