東大エース列伝

東大は、東京六大学の中で唯一、まだ優勝経験がありません。

東大といえば最下位、というのが、「指定席」になってしまっています。

しかし、そんな東大にも、弱体のバックを物ともせず、 懸命に投げ続けた、素晴らしい投手達が居ました。

六大学リーグの初期、まず東大のエースとなったのが、東武雄投手でした。

東武雄は、清水健太郎と共に、名バッテリーを組み、東大を支えましたが、

このバッテリーが居たからこそ、東大は六大学リーグへの加盟を許された、という程の、優秀なバッテリーでした。

東は、打者としても、六大学リーグの記念すべき第1号ホームランを打っています。

結局、東は、東大在学中に、通算16勝32敗という成績を残しました。

1946(昭和21)年春、戦後初の六大学リーグは、各校1本勝負で行われましたが、

東大は4連勝し、最終戦、慶応に勝てば初優勝、という所まで漕ぎ着けました。 しかし、最後は慶応に0-1で敗れ、東大は惜しくも優勝を逃しています。

この時、全5試合全て完投した東大のエースは、山崎諭投手でした。

山崎諭は、惜しくも優勝こそ成りませんでしたが、東大を、後にも先にもこの時だけという、2位へと導いたのでした。

東大史上最多となる、通算17勝(35敗)を挙げたのが、岡村甫投手です。

岡村は、1960(昭和35)年春の早稲田戦で、完封勝利を挙げると、翌日の試合では、 東大戦史上最多となる、5万人の観客が押し寄せましたが、

その試合では、岡村の東大は、惜しくも早稲田に0-1で敗れています。

1961(昭和36)~1964(昭和39)年にかけて、東大に在学し、通算8勝43敗の成績を残した新治伸治は、

大洋ホエールズに入団し、東大史上初のプロ野球選手となりました。

東大はその後、井手峻、小林至、遠藤良平、松家卓弘という、5人のプロ野球選手を輩出していますが、

彼らは、いずれも、東大のエースだった投手達です。

その他にも、

1977(昭和52)年春、東大の投手として初めて、 同一カード(立教戦)で2試合連続完封を記録した西山明彦、

1981(昭和56)年春の「赤門旋風」の立役者で、通算10勝を挙げた大山雄司、

後にNHKのニュースキャスターになった大越健介など、

いずれも個性溢れる素晴らしい投手達が、東大野球部の歴史を支えて来たのです。

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