江川卓と法政黄金時代

法政は、東京六大学野球史上最多となる通算44度の優勝回数を誇っており

何度も黄金時代を作り上げてきた、六大学野球の名門中の名門です。

その法政が、最も強かった時代といえば、 1976(昭和51)年春~1977(昭和52)年秋の四連覇の時代、だったのではないでしょうか。

この時代の法政のエースといえば、ご存知、江川卓です。

江川は、作新学院時代、公式戦でノーヒットノーラン12回、完全試合2回、145イニング連続無失点など、数々の大記録を打ち立て、

三年生時の1973(昭和48)年、春夏連続して甲子園に出場しました。

江川の作新は、甲子園では、優勝にこそ手は届かなかったものの、 江川の剛速球と、圧倒的な奪三振ショーは、人々を驚嘆させ、日本中を魅了しました。

1973年夏の甲子園の2回戦、雨中の激闘の末、 江川は最後はサヨナラ押し出し四球により、延長12回、銚子商に0-1で敗れますが、

この試合は、多くの人の感動を呼びました。

その江川が、慶応の受験に失敗し、法政に入学したのが、翌1974(昭和49)年。

この時、法政には江川をはじめ、佃正樹、金光興二、植松精一、楠原基、島本啓次など、

高校球界のスーパースター達が大挙入学し、「花の49年組」と言われました。

この時、法政の黄金時代は、約束されたも同然と、誰もが思った事でしょう。

江川は、その期待に応え、一年生の秋(1974年秋)にデビューすると、エースとして大活躍し、法政を完全優勝に導きました。

ところが、翌1975(昭和50)年は、法政は今一つまとまりを欠き、明治に春秋連覇を許してしまいます。

江川達の世代の実力が、あまりにも突出していたため、当時の上級者達との軋轢が有ったため、とも言われていますが、

江川達が三年生となった1976(昭和51)年から、法政は無敵の快進撃を続ける事となります。

1976年春~1977年秋にかけて、法政は他校から一度も勝ち点を落とさないという、圧倒的な強さを見せ、史上初の完全四連覇を達成しました。

この時期、法政の絶対的エースとして君臨したのは、勿論、江川でした。

江川は、六大学史上2位となる、通算47勝を挙げ、法政に最強時代をもたらしました。

江川が法政に在学した時代は、神宮に江川旋風が吹き荒れた時代でもあったのです。

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