私の東京六大学野球の思い出

私の、東京六大学野球にまつわる思い出を、

ざっと述べておきたいと思います。

まず、私が東京六大学野球に興味を持つキッカケになったのは、

あの天下の東大に、野球部が存在するというのを知った事、

だったのですが、

その東大野球部は非常に弱く、
連敗に次ぐ連敗で、

黒星街道まっしぐら、という状態でした。

そして、遂に、それまで東大が持っていた、
リーグ戦50連敗という記録を、自ら更新し、

東大は70連敗を喫してしまいました。

時期にすると、東大の70連敗は、1987(昭和62)年秋~1990(平成2)年秋にかけて、
という事になりますが、

私は、東大の連敗記録について、
新聞のスポーツ欄の片隅に載っていた記事で、
チェックしていました。

私が、小学生だった時代の事です。

1989(平成元)年秋の、
立教の23年振りの優勝、というニュースも、
何となく覚えています。

1990(平成2)年春、

早慶両校が優勝争いを演じ、
早慶戦で、勝ち点を取った方が優勝、
という、12年振り(23シーズン振り)の早慶決戦が行われた時は、

早慶両校でも大フィーバーとなり、
連日、神宮球場は超満員になりました。

この出来事はマスコミでも大きな話題になりましたが、
私も、この時の大騒ぎは、鮮明に覚えています。

ちなみに、この早慶決戦は、
早稲田が2勝1敗で慶応を破り、優勝を飾っています。

私が、大学に入る前年、
1997(平成9)年秋に、慶応の高橋由伸が、東京六大学野球新記録の、
通算23号本塁打を放った事も、

強烈に印象に残っています。

高橋由伸は、まさに六大学きってのスーパースターでしたが、
高橋由伸の六大学時代の活躍を、
神宮で見る事が出来なかったのは、

ちょっぴり残念ではありました。

私が法政大学に入り、
法政の優勝を初めて目の当たりにした、
1998(平成10)年秋の法政-東大戦も、
凄く印象に残っています。

法政の学生席は、普段見た事もないような、
満員の観客で埋め尽くされ、
法政の優勝が決まった瞬間は、

大歓声とともに、色とりどりの紙テープが、
法政の観客席からグラウンドに向かって、一斉に投げ込まれました。

その後、何度も味わう事になる、
母校の優勝という感激を、
私はこの時初めて、味わいました。

という事で、取りとめのない文章になってしまいましたが、

これからも、東京六大学野球を通じて、沢山の楽しい思い出を作って行きたいと思っています。

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