学徒出陣・最後の早慶戦
1943(昭和18)年4月、大平洋戦争の激化により、
戦前の六大学野球の歴史は、ここで途絶えてしまったわけですが、
六大学の各校は、それぞれ練習や対校試合などを行い、
しかし、同年秋になると、戦局はますます悪化し、
そして、同年10月、
いわゆる、「学徒出陣」が決定したのです。
この、「学徒出陣」の前の最後の思い出に、早慶戦を行いたいと、
早稲田の野球部は、この申し出を喜び、
早稲田の学校当局が、この案に難色を示しました。 早稲田の学校当局は、軍部の顔色を伺い、
こうして、早慶戦は行われないまま、徒に時間は過ぎて行き、 慶応の野球部は、一旦は早慶戦の開催を諦め、選手達をそれぞれ、
早稲田の外岡茂十郎野球部長、飛田穂州顧問、
そして、1943(昭和18)年10月16日、 早稲田の戸塚球場で、遂に早慶戦が行われる事となりました。
試合は、慶応側が一旦は早慶戦開催を諦め、
早稲田が10-1で大勝しましたが、この試合に限っては、
厳しい戦局の下、学徒出陣への最後の餞として、
早慶両校の選手は、懸命に戦い、そして、両校の応援団も、
こうして試合は終わり、両校の応援団は校歌を斉唱し、
「頑張れよ!」
「今度は、戦場で会おう!」
早慶両校の学生達は、お互いの戦場での健闘を祈り、
この、歴史的な「出陣学生壮行早慶戦」は、「最後の早慶戦」
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