惜しくも潰えた、東大初優勝の夢

東大野球部は、東京六大学野球で唯一、 優勝経験の無いチームです。

東大は、連敗記録や連続最下位記録など、 沢山の不名誉な記録を持ってしまっていますが、

その東大が、最も優勝に近付いたシーズンがありました。 それが、 1946(昭和21)年春、 戦後、初めて行われた六大学野球のシーズンでした。

終戦直後で、神宮球場は進駐軍に接収され、 使用不可能だったため、 このシーズンの公式戦は、上井草球場や後楽園球場を使用して行われました。

そして、このシーズンは、各校1回戦総当たりの一本勝負でした。

各校の陣容が、なかなか整わない中、 東大は、山崎諭投手、山崎喜暉選手らを中心にいち早く陣容を揃えた上、

早稲田OBの森茂雄をコーチに迎え、 野球の基礎的技術を徹底的に磨き上げたのです。

そのため、東大野球部の実力は、飛躍的に向上しました。

こうして迎えた、1946年春のリーグで、 東大は快進撃を見せます。

東大は、まず明治との乱打戦を制し、 明治を12-5で破ると、

続いて、山崎諭の力投により、 東大は早稲田を1-0で破りました。

8回裏の東大の決勝点は、塁上にランナーを置いた場面で、 東大の伊佐岡の打球が、一度は一塁側のファウルグラウンドに出ながらも、

不規則なバウンドをしてフェアゾーンに戻り、一塁の横を抜くという、何とも幸運なものでした。

続いて、東大は立教を2-1で下しましたが、 東大が8回に逆転した後、雨が激しくなり、降雨コールドゲームになる、という、 これまた東大にとっては、幸運な結果となりました。

続いて、東大は延長12回の熱戦の末、 法政を2-1で破り、4連勝を飾ります。

東大の山崎諭は、ここまで4連投4完投の力投で、 打の中心・山崎喜暉と共に、チームを引っ張りました。

そして遂に、東大は最終戦、ここまで3戦全勝の慶応との対決を迎えます。

東大は、この試合、勝てば初優勝の夢が叶うという、大一番でした。

試合は、0-0のまま進行し、東大・山崎諭、慶応・大島の緊迫した投手戦となりましたが、

7回裏、東大の一塁手・八百の痛恨のエラーで慶応が1点を先取。

東大は9回表2死3塁のチャンスを作りましたが、山崎喜暉が遊ゴロに倒れ、ゲームセット。

こうして、惜しくも東大初優勝の夢は潰えましたが、東大は2位に躍進したのでした。

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