明治の象徴・島岡吉郎監督
37年もの間、明治の野球部の監督を務め、
故・島岡吉郎監督です。
島岡監督といえば、明治ラグビー部の北島忠治監督と並び、 明治の象徴的存在と称される人物です。
島岡吉郎は、1911(明治44)年に、長野県に生まれました。
島岡は、野球部の在籍経験はなく、 明治在学中は、応援団長として活躍しました。
卒業後、証券会社に就職した経験を活かし、 株取引で財を成したり、
戦時中、海軍特務機関に勤務し、マカオに駐在した折には、
島岡は若い頃から、ひとかどの人物となっていました。
戦後、島岡は明治高校の野球部監督を務め、計3度(
1952(昭和27)年に、
しかし、本格的な野球経験の無い、島岡の監督就任は、
しかし、島岡はそんな逆境にも負けず、 1953(昭和28)年秋に、
以来、島岡は監督としての評価を確固たるものとし、
島岡監督といえば、熱血指導が有名で、 大変厳しい監督であり、 時には鉄拳制裁もありましたが、
その反面、島岡は自ら、一年中、野球部の合宿所に泊まり込み、 野球部に在籍する全ての部員達に気を配りました。
最上級生である四年生に、敢えてトイレ掃除を担当させたり、 四年間頑張ってきた控え部員達から優先的に、
厳しさの中にも、細やかな気配りを見せました。
島岡には、星野仙一や高田繁をはじめ、
島岡監督は、いつしか、畏敬の念を込めて、
「御大」
と呼ばれるようになっていました。
島岡の功績といえば、調布に、
こうして、明治の野球部のために生涯を捧げた島岡は、 1989年に亡くなりましたが、 きっとその生涯に、悔いはなかったに違いありません。
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