杉浦忠という男

今年(2013年)、楽天の田中将大投手が、

シーズン24勝無敗、

昨年から通算すると、シーズン28連勝という「世界記録」を達成し、

更にポストシーズンを合わせると30連勝という、凄まじい大活躍を見せ、 楽天を日本一に導きましたが、

田中の大活躍を見て、往年の南海の大投手・杉浦忠の事を思い浮かべたという、 オールドファンも、少なくなかったのではないでしょうか。

杉浦もまた、鬼神の如き大活躍により、 南海を日本一に導いた大エースでした。

杉浦忠は、1935(昭和10)年に、愛知県に生まれました。

杉浦は、高校(挙母高)時代までは、全く無名の存在でしたが、

セレクションを受け合格し、 進学した立教で、投手としての才能を、大きく開花させました。

この時の、立教のセレクションで、一際目立つ三人というのが、

長嶋茂雄、本屋敷錦吾、そして杉浦という、 後に「立教三羽烏」と呼ばれた三人だったのです。

こうして、杉浦らは1954(昭和29)年、立教に入学しました。

杉浦は、球は滅法早かったものの、酷いノーコン投手だったのですが、 二年生の春からアンダースローに転向すると、コントロールも安定し、

杉浦は立教のエースに成長して行きました。

結局、杉浦は立教在学中、 通算36勝12敗の成績を残し、

四年生の春秋(1957年春秋)には、立教を連覇に導いています。

その四年生時、杉浦は長嶋と共に、既に南海入りを決めていましたが、 長嶋は途中で心変わりし、巨人へと入団してしまいました。

しかし、杉浦は筋を通し、鶴岡監督との約束を守り、1958(昭和33)年、南海へと入団しました。

杉浦は、一年目から27勝12敗の成績を挙げ、 新人王を獲得しましたが、

本当に凄まじかったのは、杉浦の入団二年目、1959(昭和34)年のシーズンでした。

杉浦は、何とシーズン38勝4敗という、まさに大車輪の働きで、南海を優勝に導くと、

巨人との日本シリーズでは、 巨人相手に4連投4連勝という離れ業を見せ、 南海を悲願の日本一に導いたのです。

それまで、巨人に日本シリーズで四度対戦し、四度敗れていた鶴岡監督に、

杉浦は遂に初の日本一をプレゼントし、 鶴岡監督が夢にまで見た、「御堂筋パレード」をも実現させたのでした。

まさに、歴史に残る活躍を見せたのが、杉浦忠という投手だったのです。

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