1960(昭和35)年秋、早慶6連戦

1960(昭和35)年の早慶戦は、優勝をかけて早慶両校が激突し、計6試合に及び、死闘を繰り広げました。

1960年秋の東京六大学リーグは、早慶戦を迎える前の段階で、

慶応が8勝2敗の勝ち点4、

早稲田が7勝3敗の勝ち点3、

という状況でした。

慶応が早稲田から勝ち点を取れば優勝、

早稲田は、慶応に連勝すれば優勝、

早稲田の2勝1敗なら、早慶の優勝決定戦(プレーオフ)に持ち込まれる、

という事で、早慶両校は、優勝をかけて対決する事となったのです。

早稲田は、エースの安藤元博が、一人でマウンドを死守していたのに対し、

慶応は、清沢忠彦、三浦清、角谷隆、三浦清という、豊富な投手陣を誇っており、

戦前の予想では、慶応有利、という声が多かったようです。

こうして、ファン注目の中、1960年秋の早慶戦の火蓋は、切って落とされました。

神宮球場は、連日、6万人の大観衆で埋め尽くされ、両校応援団の熱狂は、過熱する一方でした。

その注目の早慶戦は、早稲田の安藤投手の力投により、

2-1、1-4、3-0で、早稲田が2勝1敗とし、早慶両校は9勝4敗の勝ち点4で並び、優勝の行方は、遂にプレーオフへと持ち込まれました。

早慶によるプレーオフは、0-1とリードされた早稲田が、土壇場の9回表1死、代打・鈴木悳夫の三塁打と、石黒行彦の起死回生の同点打で1点をもぎ取り、

結局、安藤投手の力投もあり、1-1のまま、延長11回、引き分けに終わりました。

プレーオフの再戦(通算第5戦)は、 早稲田の安藤、慶応の角谷、清沢の好投により、0-0のまま、延長戦に入りました。

延長10回裏、慶応は無死満塁の絶好のチャンスを迎えますが、渡海昇二のライトフライを、早稲田の伊田保生が捕ると、捕手の野村徹へ矢のような返球をし、

慶応の三塁走者、安藤統夫は、本塁寸前で、間一髪、タッチアウト!

こうして、絶体絶命の危機を脱した早稲田は、この試合も、延長11回、0-0で引き分けに持ち込みました。

そして、6戦目にして、早稲田は安藤投手の力投で慶応を3-1で破り、この死闘は遂に早稲田に凱歌が上がりました。

早稲田の安藤投手は、6試合の内、5完投という超人的な活躍で、早稲田に優勝の栄冠をもたらしました。

この死闘は「早慶6連戦」として、歴史にその名を残しています。

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