1981年春・赤門旋風

1981(昭和56)年春、万年最下位の東大野球部が、突如として快進撃を見せ、世間を沸かせました。

東大は、史上初めて、同一シーズンで早慶両校から勝ち点を挙げるなど、優勝争いを演じ、大旋風を巻き起こしました。

この東大の快進撃は、「赤門旋風」と呼ばれ、語り継がれています。

当時、26歳の東大大学院生・平野裕一監督率いる、東大の「赤門旋風」は、まず、開幕戦の法政戦での勝利から、始まりました。

1981年春の六大学野球の開幕戦で、 東大はエース・大山雄司と、四番・下嶋忍の活躍により、 法政を6-2で破り、初戦を制したのです。

東大が、強豪の法政に勝った、という事で、ファンは皆、驚きましたが、 これはまだ、「赤門旋風」の序章に過ぎませんでした。

東大は、2、3回戦では法政に連敗し、惜しくも勝ち点を落としてしまいます。

しかし、続く早稲田戦で、東大は大山雄司、国友充範の連続完封により、 東大は早稲田に1-0、2-0のスコアで連勝、 世間をアッと言わせました。

東大が、早稲田を連続完封で下す、というのは、勿論、史上初の快挙でした。

続く慶応戦は、東大は初戦は0-1で落としたものの、 2、3回戦を4-1、3-1のスコアで連勝し、

何と東大は、早稲田に引き続き、慶応をも撃破してしまったのです。

この時点で、東大は首位の明治に次いで2位に位置し、堂々の優勝争いを演じていました。

続く立教戦で、東大が勝ち点を挙げると、 東大は明治との優勝をかけた最終決戦に持ち込める、という状況でした。

この、東大の快進撃に、

「東大が、遂に夢の初優勝か!?」

と、マスコミは大騒ぎし、東大の試合は、連日、多くの観客が押し寄せました。

そして迎えた、注目の立教戦は、 立教のエース・野口裕美と、東大のエース・大山の力投もあり、激しい戦いとなりました。

まず初戦、東大は10-5で立教を破りましたが、

そこから立教も意地を見せ、2回戦は3-1で立教が勝利、

3回戦は、延長12回の末、0-0の引き分けとなります。

そして、4回戦は、立教が東大を1-0で破り、遂にこの死闘は、立教の勝利で幕を閉じました。

この時点で、東大初優勝は夢と消え、 最後には明治にも連敗、東大は4位に終わりました。

しかし、この「赤門旋風」は、人々に大きな感動を与えたのです。

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