東京六大学野球の通算最多優勝回数争い

東京六大学野球の学校別に、優勝回数を見ると、

法政が44度と、六大学の中では、最も多い優勝回数を記録しています。

六大学を、優勝回数順に並べると、下記の通りとなります。

法政 44回 早稲田 43回 明治 36回 慶応 33回 立教 12回 東大 0回

法政が、優勝回数では最多ですが、 早稲田がその後を、僅か1回差で追っている状況です。

つまり、法政と早稲田が、六大学野球の最多優勝回数を激しく争っている、というのが、 2013年現在の、六大学野球の状況であるという事が言えます。

六大学リーグが始まった当初、リーグを引っ張っていたのは、早稲田でした。

1925(大正14)年秋の、記念すべき六大学リーグ初のシーズンで早稲田は優勝し、初代王者となるなど、

早稲田は六大学野球のリーダー的存在として、順調に優勝回数を重ねて行きました。

一方、早慶明のビッグ3に対し、遅れを取っていた、後発の法政は、 1930(昭和5)年秋のシーズンで、ようやく初優勝を果たしました。

その後、法政は戦前だけで5回の優勝を果たしたものの、

1948(昭和23)年から1960(昭和35)年の間、 法政は12年間も優勝から遠ざかってしまったため、

順調に優勝回数を伸ばしていた早稲田と、法政との差は、かなり開いてしまいました。

1960(昭和35)年終了時点で、優勝回数は早稲田の20回に対し、法政は6回に過ぎませんでした。

ところが、1960年代以降、法政が圧倒的な強さを見せるようになり、 早稲田と法政の力関係は、見る見る内に、逆転して行ってしまうのです。

法政は、1960年代、1970年代、1980年代に一度ずつ、計三度も四連覇を果たすなど、 六大学最強の存在となりました。

逆にこの間、早稲田は、優勝回数は伸び悩みました。

そして、1987(昭和62)年秋、法政は30回目の優勝を果たし、遂に29回の早稲田を抜き去ったのです。

その後、2001(平成13)年春の時点で、 法政40回、早稲田32回と、両者の差はかなり開きましたが、

2000年代には早稲田は黄金時代を築き、優勝回数を重ねました。

そして、再び早稲田と法政の差は急接近し、今日に至っています。

今後も、六大学野球の優勝回数争いからは、目が離せませんね。

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